猫と一緒にトルコへ移住

ツアーで訪れたトルコに一目惚れ。早速住んでみることにしました。海外移住の記録です

コロナウィルス

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2020年4月

 

三月の中旬頃からトルコでもコロナの影響が出始めた。

この頃はイタリアでの大流行なども連日のニュースになっており、トルコでは感染者数や情報すらまだ多くは無かったけれども、不穏な空気は流れ始めていた。

今までに経験のない世界中が巻き込まれつつある未曽有のパンデミックである。

この時点ではほとんど確実な情報がない。

憶測が憶測を呼び、人々の不安は増していた。

明るくて人懐こいトルコ人ですら、疑心暗鬼の目でアジア人を見るようになっていた。

ボディビルの合宿から戻って一週間もすると、スターバックスマクドナルドなどのチェーン店の飲食店などが次々と休業になり始めた。

街を歩くだけで、子供たちに

「チン、コロナ」と指を指されるようになった。

チン、とは中国の事であり、トルコではこの時点ではこの史上最悪のウィルスは中国産であると信じられていた。

だから、ぱっと見、中国人の私は、犯人呼ばわりなのである。

店で買い物をしても、しばしば、お金を渡す前に、

「チン?」

と聞かれた。

「ジャポン」

と答えるとほっとしたように、お金を受け取ってくれた。

この状況では、本物の中国人は生活がさぞや不便であったろう。

後日談ではあるが中国人たちはこのようなケースの場合「日本人だ」と言って逃げきっていたらしい。同じ顔でも日本人と答えたほうが、あたりが柔らかいことを彼らは学習していたからである。

ウィルスを作ったにしろ、作ってなくても隠蔽した政府の責任はあるかもしれないが、個人の中国人に矛先を向けるのはお門違いだろう。

しかし、正体不明の脅威には怒りの矛先が必要ではある。

人々は悪者を作り上げることで、自分の不安と折り合いをつけることができる。

そんなわけで、状況は少しずつ悪くなっているようであった。

しかし、この段階ではまだ、トルコの感染者はほとんどニュースにもなっておらず、あくまでも対岸の火事程度の認識ではあったのだ。

そして、トルコは、感染者が少ないうちに鎖国を敢行することにしたらしい。

全ての国際線をストップすると発表した。

とりあえず日本行きの最終フライトは24日だった。

外務省からメールが届いたので、私は緊急帰国することにした。

もしも、猫がここにいれば私は残っただろう。

しかし、いつ次の飛行機が動くかどうかわからない状況で、猫を日本に置き去りにするわけにはいかなかった。

空港は閑散としており、デパーチャーボードのほぼ全ての便が欠航となっていた。

こんな有様は初めて目にした。

とんでもないことになっているのだろうか?

普段はのんきな私もさすがに背筋がゾクッとした。

 

さて帰国後、ロシアとトルコからの渡航者だけ集まるように言われた。

この時点では日本を含むアジアとヨーロッパの感染が深刻だったが、ロシアとトルコはハザードマップでもまっさらだったので、検疫が免除されたのである。

検疫は長蛇の列で、それを尻目にロシアトルコ組はすんなり日本へ入国することができた。

ロシア、トルコはこれ以降徐々に感染が広まっていくことになるのだが、この段階ではまだ非汚染地域だったのである。

帰宅後は念のため二週間自粛した。

しかし、日本の家は売りに出す状態にしていたので、インターネットも解約しており、家具類などもまともなものは、春から大学生になる姪にすべて譲った後だった。

漫画やゲームなどの娯楽品もすべて処分してしまっていたので、何もやることがなく、

がらんとして何もない家に、暮らすのはとても手持無沙汰だった。

唯一良かったことと言えば、気がかりだった猫の輸出の準備を全部自分でできることだった。

ペットシッターさんはとても良心的でほんのわずかのキャンセル料だけで返金に応じてくれた。

ここは料金もびっくりするほど安いのに、とても丁寧で、戸締りと猫と遊ぶ姿もすべて動画で送ってくれて、毎回海外旅行の際に利用していた。

※リンク貼っときます。

ms-service.wixsite.com

 

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デパーチャーボードがすごいことに!!!