調査開始②町の選定
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2019年10月
7月トルコルアーに参加した時、何人かの現地人と連絡先を交換していた。
殆どがイスタンブール在住の人で、イズミル地方には詳しくなかった。
その中からエフェス遺跡の写真屋さんに連絡を取ってみた。
WhatsAppでコンタクトを試みたが、双方母国語しか覚束無い為、意思の疎通にはずいぶん苦労した。
グーグル翻訳でテキストメッセージを送るのだが、どうも、日本語とトルコ語の翻訳機能の精度が今一つらしく、エフェスおじさんからは謎の日本語メッセージが届き、全く理解できなかったし、逆に言えば、こちらから送っているトルコ語もおかしかったのだろう。
最終的にお互いに英語に翻訳してそれを母国語に更に翻訳することでようやく、意思の疎通が可能となった。
私の場合は、日本人なので、英語なら、読み書きはある程度できるので、問題無かったが、おじさんの世代は第二外国語がフランス語だったようで、リンゴやミカンなどの簡単な英語すらもわからなかったので、英語でのコンタクトもまあ、簡単ではなかったが。
ただ、私がイズミル地方に行きたがっていることは理解できたようで、この辺りではクシャダスという町が一番いいと教えてくれた。
初めて聞く名前だったが、おじさんがホテルのブッキングと空港からの送迎をしてくれるということで、とりあえず、一度そのおじさん推しの街を訪問してみようと思った。
おじさんは副業でツーリストのコーディネートもやっている風だった。
こちらの意向を理解すると、次々と計画を提案してきた。
ホテル4泊と空港送迎および近隣の簡単な観光付きで880トルコリラの提示を受けた。
送迎や観光も含まれているのだから、ホテルそのものは200くらいなのだろう。
一泊200トルコリラの計算だが、当時トルコリラのレートが20円だったので、日本円にして4000円の安宿である。
どんな怪しいホテルかと内心ドキドキしていたが、送られてきた写真を見て、驚いた。
20畳ほどの広々としたリビングには大きなシステムキッチンとダイニングテーブル、
リビングセットと60インチの大きなテレビが据え付けられていた。
バルコニーにもダイニングテーブルがあり、そこからはパノラマでエーゲ海が見渡せた。
シンプルで清潔なベッドルームとバスルームが別室にあり、私は一目で気に入った。
しかし、物価の感覚がよくわからなかったので、念のためブッキングサイトでもホテルを調べてみた。
130トルコリラ位からあるものの、ビジネスホテルのような感じで、ヒルトンのようなバスタブ付きのシティホテルクラスなら400トルコリラ程度だった。
ぼったくりの心配は無いと一安心し、私はおじさんに手配を任せ、一路クシャダスに向かった。
調査開始①資金計画
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2019年9月
調査、といってもそうたいしたことはしなかった。
生活費や治安についてwebで調べる程度である。
しかし、その情報は主にイスタンブルのものであり、私が住みたいイズミル地方の情報はあまりヒットしなかった。
イスタンブルでの生活費は月10万円位、と、その当時の記事には書かれていた。
私は日本の家を賃貸に出して家賃収入を月に5万円くらい得るつもりでいたので、相殺して年間60万円の生活費+旅行費用40万円で計算し、60歳までに1000万円、食いつぶす計算をした。
これなら何年か住んで、飽きて、日本に戻ったとしても住む家もあるから、と単純に考えていた。
しかし、不動産業者に相談すると、海外に移住する場合は、賃貸よりも売却の方が合理的では、という提案を受けた。
日本国内にいれば自分で管理や、安いメンテナンス業者を探すこともできるが、その辺がすべて管理会社任せになるので、通常よりも費用が掛かるだろうということであった。
ついでに転勤のために自宅を賃貸に出している友人にも聞いたところ、ローン返済ぎりぎりの収入で、毎月若干の赤字が出るとのことであった。
私の場合はローンがないからメンテナンス費用を除いた家賃がそのまま収入にはなるが、色々と面倒かもしれない。
また、税務署にも聞いてみたが、このパターンだと、代理人をたて、毎年確定申告を行う必要があると言われ、これも面倒だな、と思った。
売却の場合ももちろん確定申告が必要だが、一度で済む。
そして、私の日本の家は駅から遠く、車が必要な立地である。
年老いて日本に戻ってから住むなら、駅に近くて車がなくても移動が簡単にできる場所に新しく家を探すのも一つの考えではないかとも考えた。
思い付きで移住を計画してはみたものの、色々な情報が必要だと思い知らされた。
どのくらいの期間移住するのかも、何もかもがノープランの思い付きだったから。
調査やその他の過程も含めて、これは、大掛かりな遊びだな、と、私は久しぶりに気持ちが昂った。
長い間、退屈していた。
同じ日々の繰り返し。
無限ルーティンから抜け出せる時が近づいているのかもしれない。
海外移住
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2019年8月
トルコ一周ツアーから帰国し、私はひたすら移住について考えるようになっていた。
初日のエーゲ海沿岸部の地域がいたくお気に召した私にとっては、その後周遊した他の地域にはそれほどの興味も持てずに一週間の行程を終えていた。
それまで、私はトルコは中東だと思っていた。
しかし行ってみて、私のその考えは、間違っていたと知った。
百聞は一見にしかずとはよく言ったものだ。
確かに地域によっては中東的な部分もあったものの、私が気に入った地域ははるかにヨーロッパ的だった。
それも、パリやロンドンのような王道のそれではなく、あくまでも、”ヨーロッパ風味”であった事が殊更に私の心の琴線に触れた。
私はもともと、あまり王道を好まない人間であった。
戦闘ヒーローものでは赤のようなリーダータイプや、黄のような三枚目でもなく、これといった特色を持たないような緑が好きだった。
ともすれば忘れられてしまうような、濃い個性を持たない存在は私をいつでも穏やかな気分にしてくれる。
海外移住については、昔から漠然と考えてはいた。
55歳で早期リタイアして、物価が安く治安の良い東欧あたりに移住しよう、という程度の大雑把な計画ではあったが。
私は今年50歳。
あと5年待つのは嫌だったが、今の貯えだけで、生活費が足りるだろうか。
私は少しずつ調査を始めることにした。
はじまりの日
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2019年7月
その日、私は初めてトルコを訪れた。
有名なトロイ遺跡を訪れた後、観光バスはエーゲ海に沿って延々と走り続けた。
海は果てしなく広がり、キラキラとそれは美しく反射する。
昼食に訪れたレストランでは鯛の塩焼きが提供されたが、私は喉に小骨が刺さって大変難儀していた。
しかし、デザートの死ぬほど甘いケーキを食べて、あまりの甘さにオエっとなった時、私の小骨がポロリと抜けた。
私は嬉しくなって、外に飛び出すと裸足になって浜辺を駆けた。
海辺の庭園には鹿が飼育されており、私は興味を持って近づいた。
入り口には恰幅の好いおじさんが立っており、庭園には立ち入り禁止だと言った。
私が大げさに悲しそうな顔をして見せると、おじさんは心が痛んだようで、少しだけ入ってもいいが鹿には触ってはいけない、そのかわり、この犬は触ってもよい、と、私を中に案内してくれた。
私は鹿の庭園の中で存分に大きな犬と戯れ、レストランに戻る道を歩い
た。
どこまでも青い空には雲一つなく、私はその果てを見ようと目を細めた。
眩しすぎて鼻の奥がムズムズした。
名前も知らない鳥が青い空を横切って、私は漠然と感じた。
私はここにいるべきではないのか?